今回は、自衛隊看護師の主な仕事内容とともに、今まで自衛隊看護師がどのような場面で活躍してきたのか、そして今後どういった場面で活動が考えられるのかについてをお話しします。
自衛隊看護師の主な仕事内容
自衛隊看護師といえども、普段の仕事の内容は民間の病院の看護師と基本的に変わりはありません。
特に自衛隊病院での勤務の場合、来院する患者さんたちがみな自衛隊員ということのほかは、民間の総合病院での勤務内容とほぼ同じです。
しかし病院といっても自衛隊病院はやはり自衛隊の機関ですから、防災訓練や自衛隊演習など、主に医療衛生の分野で訓練等に参加する場合はあります。さらに衛生隊勤務ともなれば、尚更です。
また災害派遣、復興人道支援や国際平和協力活動などに参加して、医療活動等に従事することもあります。
自衛隊看護師のこれまでの実績
自衛隊は幸いにして、未だかつて防衛出動の経験はありませんが、災害派遣では今までに何度も救難・支援活動に従事しています。
災害派遣(日本)
日本の災害対策は、昭和34年の伊勢湾台風を教訓として制定された「災害対策基本法」に基づき、災害発生時には都道府県知事・市町村長の下に災害対策本部が編成され、警察・消防・自衛隊等の各機関はこの統制を受けて医療支援を含む救援活動を行うこととされています。
ただし、平成5年の北海道南西沖地震までは、災害時の医療支援は民間医療を中心に対応してきたため、自衛隊の衛生部門が災害時に必要とされる機会は実はそう多くはありませんでした。
阪神淡路大震災
流れが大きく変わったのは、平成7年の阪神淡路大震災でした。この大震災では、民間医療機関が壊滅的打撃を蒙ったため、自衛隊は全国の部隊機関から医官・看護師そして衛生科隊員らを被災地への支援に差し向けました。
兵庫県川西市の自衛隊阪神病院を活動拠点として、被災地に18ヶ所の救護所を開設し、巡回診療(野外手術車を用いた小手術を含む)を実施。また、支援物資として送られた各種医薬品の整理分別や輸送管理のために陸自衛生補給処から薬剤官を派遣したほか、衛生環境維持のための生ごみ等の消毒といったことも行なっています。
新潟県中越地震
平成16年新潟県中越地震では、医療支援・患者搬送を実施したほか、陸自第12旅団の医官・看護官・救急救命士が東京消防庁ハイパーレスキュー隊へと派遣されて医療支援に従事しました。
東日本大震災
最近記憶に鮮明なのが、平成23年の東日本大震災での陸海空自衛隊の活躍です。
この震災では自衛隊は10万人規模の災害派遣を実施し、4月までの約1カ月で1万9000名余の被災者を救助しました。
医療分野に関しては、約850名の衛生科隊員を投入し、4つの救護所を設け、17個の巡回診療班を編制し、2万3370名の被災した患者に対する診療を行いました。
海外派遣
また、国際協力等の分野での例としては、イラク人道復興支援活動で陸自は師団ごとに10次にわたって復興業務支援群を編制して派遣し、医療部門では、医官らがサマーワ総合病院を筆頭に医療機材の使用法など277回もの医療技術指導を行いました。
1回の派遣で衛生科全体では約60名、うち看護班は約20名だったとのことです。
自衛隊看護師の未来
今後は日本は国際社会においてより高い地位を占めるべく、国連平和協力活動や人道支援に一層力を入れるようになってくることが考えられます。つまり、この分野ではますます活躍の場と機会が拡大するものと考えられます。
一方で、「安全なところでなければ、日本は自衛隊を派遣しない」という日本側の主張に対して国際社会が圧力を高めてくるおそれもあり、より困難な状況下での支援活動の実施が求められるようになってくることもあるでしょう。
大規模災害も、遠くない将来に東海・南海・東南海などで大地震が発生する可能性が高いとの指摘もあり、万一の事態に備え、自衛隊としては万全の準備を整えておく必要があるでしょう。
東日本大震災では、平成17年に制度が発足した緊急医療チーム・日本DMATも、日本赤十字社の救護班も、自前の運輸手段や情報収集能力に乏しいのが弱点となってあらわれました。自衛隊はその自己完結性を活かして、災害派遣での医療支援で力を発揮できることと思います。
おわりに
自衛隊看護師はこれから今まで以上に厳しい場面や状況でその持てる力を発揮することが強く期待されるようになっていくでしょう。
力を発揮するためには、何よりも「人」こそが最も重要な要素です。
強い使命感と高い知識技能を持った人材が必要とされており、これからの災害派遣や海外派遣を支えていくのは、まさにその力といえるでしょう。