用語解説
用語の読み
ないちんげーるびょうとう
用語の意味
1887年(明治20年)、医学者である高木兼寛氏は日本に初めてナイチンゲール病棟を設立しました。ナイチンゲール病棟はイギリスのロンドンにあるセント・トーマス病院をモデルとして建築されましたが、高木氏はイギリス留学の際にセント・トーマス病院にある看護師養成所の設立者で、近代の看護システムを切り開いた人物としても有名なフローレンス・ナイチンゲールの精神や思想に大きな影響を受け、ナイチンゲール病棟以外にも有志共立東京病院内(現在の東京慈恵会病院)に日本で初めて看護学校を設立したことでも知られています。
ナイチンゲールは「書物や講義などの座学では十分な看護教育ができない。」という考えのもとに、患者のベッドサイドを中心とする実践型の教育を重んじました。これを実現するために考え出された構造がナイチンゲール病棟です。ナイチンゲール病棟では、細長い一つの大部屋の中央にナースステーション(カルテ記入などをするテーブル)が設置されていて、それを挟むように左右の長い壁に沿ってそれぞれ15床ずつベッドが並んでいます。それぞれのベッドの頭元に一つずつ窓があり、ベッドとベッドの間隔はゆったりと保たれていることが特徴で、処置中のプライバシー保護の為に使用するカーテンも付けられていました。ナースステーションの両脇には患者専用の長椅子が置かれ、患者の憩いの場として使用されていました。このような病棟では、看護師は常に患者の様子を見渡しやすいだけでなく、病に苦しむ患者達もいつでも看護師の気配を感じることが出来るため、患者に大きな安心感を与えることが出来ました。同じフロアの中に設置されている婦長室には小窓があるため、病室やナースステーションの様子を把握でき、さらに婦長室のすぐ横にある重症患者用の病室もすぐに観察できるようになっていました。
またナイチンゲール病棟は看護教育だけではなく医学生の研修・実習にもよく利用されていて、その現場を目の当たりにした高木氏は、看護師と医師が対等な関係を築き協力し合ってはじめて患者中心の看護・医療が提供できることを実感しました。これを機に高木氏はその当時の日本の看護師の立場(医師のお手伝い係のような役割)に疑問を抱きはじめ、帰国後にナイチンゲール病棟と看護学校の設立を推し進めました。
現在、その当時のナイチンゲール病棟の構造をそのまま使用している病院はありませんが、「大部屋に大きな窓が設置されていて、自由に外を眺めたり換気したりしやすい」「大部屋でもベッドとベッドの間隔が十分に確保されている」という特徴を持つ「現代版ナイチンゲール病棟」を持つ病院も存在しています。これは、医療の対象は「病める臓器、病める人体ではなく、病める人間、悩める人間である。」と提唱し続けたナイチンゲールの精神が、100年以上経った今でも多くの医療従事者に受け継がれていることを物語っています。
看護師・椿(つばき)の一言コメント
ナイチンゲール病棟!!実際に病院覚書書で図面を見ました。
200畳のワンフロアーに15床ものベッドが並びベッドのそばには必ず窓があって中央にはナースステーション、そして何より天井がとても高い!!一人あたりの空間は約6畳というものでした。
ナイチンゲールは病院建築家なんて肩書きも付いているようで「換気」と言う看護の基本中の基本から見るとかなり理にかなっている構造(今でいうICUのスタイルがまさにそう)
今現在日本でも病院建築において、ナイチンゲール病棟の考え方を取り入れて設計している所もあるようですよ!!